昭和46年 |
交剣知愛をモットーに、剣道教士七段(当時教士五段)牧内槙男先生が自宅(船橋市習志野2-31-7)の庭に剣道道場を建築、習志野台に武道(剣道)の発展と青少年の心身を練磨し地域社会に寄与することを願って「習武館」と命名、後進の指導に当たり幾多の門下生を世に送り出した。
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昭和55年 |
道場旗を制作、その道場旗には文武両道を表す、シンボルマークを梵字から採用、梵字は造物神梵天が創造した文字で古代インドの文章語、すなわちサンスクリットに用いられ、仏教と共に中国を通じ日本に伝来しました。 |
昭和57年 |
市剣道連盟発展の為に尽くしたことが認められ、船橋市剣道連盟創立30周年記念大会において特別表彰を受け、昭和62年に至り門下生及び練習生の増加にともない、道場では手狭になり稽古場所を船橋市立習志野台第一小学校体育館に移すと共に「習武館」を剣友会に組織変更し、名称も「習武館なら一剣友会」として再発足、それまで月・木・土の稽古を月曜日・金曜日は習志野台第一小学校体育館で、土曜日は市武道センターにおいて実施。 |
平成13年 |
土曜日の稽古場所を市武道センターから村山博茂錬士六段のご努力により「剣鳳会」の方々と共に大穴中学校武道場に移動。平成14年に至り全てを初心に戻す意味を込めて「習武館なら一剣友会」の名称を旧道場名「習武館」に戻し、指導者、門下生共に剣道の稽古に励んでおります。 |